産後は辛いよ〜赤ちゃんの理想と現実
病院ではスヤスヤと非常によく眠った娘。
助産師さんに「起こしてでもミルクを飲ませた方が良い」と言われるくらい静かに寝た。
お腹が空いた時は全ての力を振り絞り この世の終わりかのように泣き、ミルクを飲んで-時には十分飲んでなくても-寝た。
しかし、自宅に帰って状況は一変。
泣いて、泣いて、泣いて、泣きまくる。
現実の子育ては想像していた子育てとは全くもって違った。
1.「赤ちゃんかわいい」はウソ。
前から小さい子は苦手だった。他人の赤ちゃんをかわいいと思ったことはなかった。
母もそうだったらしい。でも自分の子はかわいいと言っていた。その言葉を信じて進んだ。
…違った。
眠っている時はしかめ面のビリケンさん、起きれば顔を真っ赤にして泣いて叫んで暴れる閻魔様をかわいいとは思えなかった。
乳を吸わせている時は愛おしさが込み上げてくる時もあったが基本「かわいくない時々イライラ」だった。
何で産んでしまったんだろうと後悔して、そんなことを考えてしまう自分を嫌悪し、望まれて産まれて出てくれた娘への罪悪感に胸が軋んだ。
生後3ヶ月になった頃、旦那に過去の話として伝えたら、旦那も「あの頃は赤ちゃんじゃなくてお猿さんだった」と一定の共感?が得られた。ネットでも「かわいいと思えない」人が一定数いて安心した。
生後4ヶ月の今になって漸く「かわいい時々かわいくない」になったのだから先は長い。
2.「新生児期は16〜18時間眠る」はウソ。
とにかく赤ちゃんのお世話が下手くそな私。
16時間なんて夢のまた夢。
びよログで記録していた睡眠時間は12時間を切ることもザラ。
眠いのなら寝たらいいのに。赤ちゃんは眠り方を知らないらしい。そんなバカな!眠すぎて眠れないって、!!
ようやく眠ることに慣れたのは生後3ヶ月頃。それでも平均15時間/日程度。
眠いから寝る、こういう風に生まれてこないのはバグ仕様なのではないかとつくづく思う。
3.「泣き声に種類がある」のウソ
「赤ちゃん 泣き声 種類」でググると赤ちゃんの泣き方には5種類あるという記事が出てくる。
なんて素敵な!と感動した私は娘の泣き声に耳を傾けた。
…が、わからん!全部一緒!!
新生児期は娘も自分が何を感じているのかわかっていないのか、声の出し方が未発達なのか、記事に載っていた5種類とは程遠かった。
生後1ヶ月に入る頃、げっぷの時は猫が踏まれたような声を出したが、その音も日が経つにつれて変わった。
生後2ヶ月に入る頃にメンタルリープの大嵐に突入。その後から少し泣き方に違いが出るようになった、、ような気がする。
記事のような5種類の泣き方を区別できるようになったのは4ヶ月になった頃。
状況別に違う声を出すのと、音の出し方は似ているけれど個性が入るみたいで、最近の娘のお腹空いたは「エエー、エッ」だ。
4.オムツ濡れて泣くもウソ?
娘は生まれてこの方紙おむつ一筋。店頭で一番安い物を使っている。
読んだ育児書には赤ちゃんが泣いたらオムツ、室温、お腹が減っていないかチェックとあった。
でも近年の紙おむつが優秀なのか、オムツが濡れたところで泣かないし、泣いている時にオムツを交換しても泣き止みはしない。
生後2〜3ヶ月くらいまではオシッコを出す前に泣いて、出した後は抱っこであやせばケロリとしていた。
背中からウンチが漏れて服を汚してもどこ吹く風。長く寝た後にパンパンになるくらいオムツが濡れていても涼しい顔をしている。
オムツが濡れて不快で泣くのは布オムツの話なのかもしれない。
生後4ヶ月になった今だから割と余裕が出てきたものの、生後2ヶ月まではひたすら泣いて眠らない娘相手に疲れ果て、へとへとの毎日だった。
育児書通りにはいかない。
もう1人、またはもう一回生まれたてから育てる時はきっともっと上手くいく、、、よ、ね?
産後は辛いよ 〜出産直後編
妊娠した時、出産はゴールだと思った。
産んでしまえば全てが楽になると。
今は思う。出産はマラソン35km地点。42.195km走ったことないけど、たぶんそう。
出産の、たった数時間で起きたダメージで8週間ふらふら。
特に最初の3週間はズタボロ。
初日はいっそ殺してくれと思った。
そして始まる魔物との生活。
出産までは自分の体の延長線上の出来事だと想像ができたけれど、赤ちゃんと一緒の生活は全く想像が付かなかった。
自分が末っ子だからなのか。赤ちゃんという生き物を良く知らなかったからか。
幸いにしてつわりが軽い方だった妊娠初期は多少の情緒不安定さがありつつも元気な妊婦だった。
安定期と言われる妊娠中期も睡眠不足とかは苦しかったが、これまでの人生の延長と言えばそう。
後期はダメージが蓄積してフゥフゥ言いながら動いていたが、あと少しで楽になると思えば希望があった。
陣痛は記憶が曖昧だが痛かったのは覚えている。でも出せば楽になる。ゴールテープまであと少し。ラストスパート!
必死にいきんで娘が産まれ出た。元気な声をあげてくれた。
ー終わった。
乱れた呼吸を整えながら、周りでテキパキ動くお医者さんや助産師さんを眺めていた。
出血が多めだったとかで点滴をしてもらったけれど、点滴される程だったという自覚もなかった。
が、ここからだった。
会陰縫合がめちゃくちゃ痛い。
麻酔本当に打ちました?と確認したいくらいの容赦なさで縫い針が局部を突き続けること30分。
10分経過した辺りでもうすぐ終わりかと聞いた時、医師に困った笑顔で「まだ1/3くらいですね。」と言われた時には絶望した。
何も悪くないお医者さんを蹴り飛ばして逃げたかった。
寿限無を唱えてみたり、生まれたての娘からパワーを貰おうと眺めてみたり、色々試みたが痛みは全くマシにならなかった。
分娩台でいきんでいた時間より圧倒的に長い拷問だった。
縫っただけでは終わらない。その後も縫い痕がズキズキ痛む。靭帯を切った時のような、熱を持った痛み。やっぱり悪くないお医者さんをヤブ医者なんじゃないかと疑い何度も呪った。
(あのお医者さんが今も無事に暮らされていますように、。)
円座クッションがラクだと事前に調べていたので、病室に用意されていたものに意気揚々と座った。
痛いものは痛い。全く効果を感じなかった。
円座クッションがなかったらどれくらい痛いのかは怖くて確かめられなかった。
寝ても起きても痛い。言わんや歩くをや。再び裂けそうでヨタヨタちょびちょびとしか進めなかった。
2日目までは猛烈な痛みが続いた。
3日目以降は非常に強い痛みになった。
退院まで、内診台に乗る時はお尻をつけることができずに両腕で体を支えた。
貧血もじわじわと攻めてくる。
分娩後、病室への移動には車椅子が用意された時にはまだ余裕だった。そんな重病人ではないぞと思った。
400ml献血した後でもスタスタ歩ける私が600ml失血したくらいで歩けない訳がない。
(とはいえ「決まりなので」と言われた車椅子は有難く乗せていただいた。)
こんなに元気なのに車椅子に乗せてもらっちゃってすみませんね、という気持ちだった。
が、トイレで見た顔は土気色。
産後ハイが過ぎでしまえば身体は怠く、少し動くのにも普段の3倍エネルギーが要った。
「産後」というものはきっちりやってきた。
私の場合は初産のくせに陣痛から娘の誕生までたった5時間、分娩台に乗って10分のスピード出産。一般的には超安産に分類される。
本格的に苦しくなってからは2時間。その時は永遠に感じたが、振り返れば10分程度の記憶しかない。
そんな短い時間でプリッと産んだだけなのにベッドから起き上がることがままならない。
お尻の穴が痛くて、体が重くて、横になると頭だけが冴えている。
この身体で赤ちゃんの世話をするなんて人体の設計ミスとしか思えない。
病院ではまだマシだった。
いくら娘が泣き喚いてもお互い様。困っていれば看護師さんが助けてもくれる。温度管理もバッチリで、乳を与えられて満足すれば娘はすやすやとよく眠った。
自宅に戻って状況が変わる。
続きはいずれまた別の日に。
世間の母に聞きたい
酒好きの夫婦に子どもができました。
妻は授乳のため酒はおろか、どこかに一人で自由気ままに出かけることもままなりません。
(いつの間にか哺乳瓶を全力拒否するようになったため)
そんな中、夫に飲み会のお誘い。
自分もお酒が好きだからわかる飲みたい気持ち。
ましてや親しい友人と会うのは久しぶり。
行きたい気持ちはわかります。
妻ができないからといって夫に行動制限をお願いするのは夫の笑顔に繋がらないし、夫の笑顔を奪う心苦しさが生まれます。
でも夫ばかりずるい、羨ましいという気持ちが消えません。
この心のモヤモヤはどうしたら良いのでしょう?
世の中の母たちはどう折り合いをつけておられるのでしょう?
娘よ、早く大きくなあれ。
知らなかった妊婦の事実
親戚のお姉様、職場の先輩、。
妊婦さんはこれまでも見てきたし、何となく知ってるつもりでいたけど
知らなかったよ、こんなにツライなんて!
週数を重ねるにつれ、妊娠を耐えられた諸先輩方への尊敬がどんどん高まった。
自分がそうなるまで妊婦の辛さはお腹重い、暑い、つわりなるものがしんどいくらいまでしか想像していなかった。
本当に何もわかってなかったと思う。
むしろ何で世の中の妊婦さんは平気そうに見えたのか。
精神的にも肉体的にもしんどかった。なんで私は男に生まれなかったのだろう。
私はつわりがひどくなく、胃の調子が悪い時の気持ち悪さ程度で済んだラッキーな側だったが、半数の妊婦はこれにゲロゲロのつわりが加わるのかと思うとぞっとする。
大なり小なり辛かったのは次のこと。
○肉体面
・睡眠不足
・妊娠後期の息ぎれ、動悸
・妊娠後期の胎動
・むくみ
○精神面
・キャリアが途切れることへの不安
・明らかに能力が低下している自分への苛立ち
・生活への制限とストレス
・変化していく身体への戸惑い
まず肉体面から。
先述した通り、つわりが軽かったのは本当にラッキーだった。
お腹が大きくなるのもゆっくりで、妊娠中期くらいまでは妊娠していることに気付がない人が多かったほど。お腹も重たくないし、肉体的には全然平気だった。
ただ、妊娠初期あたりから悩まされたのが睡眠不足。
これまで同様の22時就寝、6時起床の8時間睡眠。でも明らかに眠りが浅い。ちょっとした物音で夜中に何度も起きる。
仰向けで眠れなくなった妊娠中期〜後期は寝返りが打てず、さらに眠りが浅くなった。
日中は仕事なので当然昼寝などできず。
車での通勤中に眠気を感じたことも何度もあった。
睡眠不足で仕事のパフォーマンスが下がっているのが自分でもわかり、悔しかった。
加えて息切れ。
妊娠後期に入ると日増しに目に見えてお腹が大きくなった。
それに心肺が押されたのか常に息苦しい。
加えて赤ちゃんに養分を送るために血流量が増えるらしいが、その分血液が薄まっているらしい。
普通の呼吸では酸素が入ってくる感じがしない。
同時に新型コロナが流行。社内、スーパー、どこでもマスク着用が求められる。
ずっと酸欠。マスクを外していてもしんどいのに。心臓が頑張ってるのもわかるけど、追いついていない。
そして嬉しいはずの胎動も強くなっていく。
ドラマとかで見ていた、ぽこっ…「あ、動いた!」みたいな生易しいものではなくなる。
ぼこっ…ぼこぼこっ!ぐにゅんぐにゅん!ぐいーん!
腹の中でエイリアンが蠢いている。そんな感じ。
突如蹴られて私の体があらぬ方向に不随意に動く。お腹の皮が無理やり引き延ばされる。
真面目な会議をしていても、考え事をしようとしていてもお腹の子は我関せず(まぁ、実際に関係ないよね。)
事前に修行を積んでいないと集中するのは至難の技。
赤ちゃんの足の形に腹が浮き出てくるというのはガチ。
最後は浮腫。
妊娠後期は大きくなったお腹で血管が圧迫されるとかで足の甲から太腿までパンパン。
足首はもちろん消滅。一晩足を上げて寝ても戻りきらないから毎日蓄積されていくような気がした。
歩いたりストレッチしたりしてみたけれど焼石に水。やらないよりはマシ程度。
ルナルナベビーの投稿とか見ているともっと酷い人もいるみたい。上には上がいる。
胎動と浮腫に関しては産んだ直後から楽になって一安心。
続いて精神面。
まずはキャリアへの不安。
産前産後で14週間、さらに当然のように育休があって1年近く穴が空く。
私がやっていた業務は全部引継ぐことになる。
引継ぎをお願いする職場の面々に負担がいく申し訳なさ。
一方で自分がいなくても回るようになる、自分の存在がお邪魔で不要になる感覚。
やりたかったプロジェクトを諦める悔しさ。
復職後できても子どもの世話で元のように働くのは難しいだろう。
自分が上司なら、2年自分の元でバリバリはたらいた非子育て社員と1年産育休でおらず、その後も休みや早退をする子育て社員とであれば、それぞれの事情はわかりつつも働いてくれた非子育て社員を先に昇進などで報いる。
子育ては私の人生に幸せな日々をもたらしてくれるだろうが、目に見える具体的な達成報酬はない。
産育休から戻ったときに自分の居場所はあるのか、目指せるものはあるのか。産休入りが近づくにつれ不安が高まった。
難しい問題だが、男も女も同じ期間ずつ休業したり時短勤務やフレックスで働けるようになれば、つまり、男女のブランク期間が同じくらいになれば、もう少し不安は和らぐのではないかと思う。
子を持たない、持てない夫婦や単身者の選択もあるのでマルッと解決にはならないのだが、ブランクが起きる社員の割合が増えれば、この後ろめたさもマシになるのではないか。
2つ目は明らかに能力が低下している自分への苛立ち。
前述の通り睡眠不足が重なっていたからなのか、妊娠によるホルモンの変化のせいなのか、酒は飲んでいないはずなのに頭が冴えない。
頭にうっすらモヤがかかったような状態だった。
これが他人から見て分かるレベルだったのかはわからないが、自分としては集中力の低下や思考力の低下を感じた。
自分で自分が歯痒く、やるせなかった。
3つ目は生活への制限とストレス。
まず運動が制限される。
お腹に衝撃がいくような激しい運動は避けるべし。
気分転換と健康維持のためのジョギングは自粛し、ひたすらウォーキング。
同じ距離を行くのに2倍の時間がかかる。遅刻気味でも走れないから電車で出張の時には早めに家を出るようになった。
そしてアルコールは禁忌。
妊娠するまでは週に3,4日は呑んでいた。
酒と、それに食べ物を合わせるのが楽しみだった。刺身があれば日本酒、チーズや生ハムとワイン、。ハイボール。折角気に入った銘柄が見つかった缶酎ハイ…。
(産後も授乳期間は呑めないので、未練たらたらである。)
加えて他にも注意すべき飲食物がある。
私が好きなもので言うとコーヒー、生ハム、チーズ(非加熱)、刺身(生魚)、卵かけご飯(生卵)、うなぎ。
そう、卵かけご飯も避けるべしらしい。
生卵からの、かなり確率の低い、サルモネラ菌感染リスクを考慮して避けるべしとされている。
何を隠そう私の大好物。卵のある日は毎朝食べていた。
ストレス解消法が動く、食べる、呑むだった私には大打撃。
音痴なのでカラオケは嫌い。貧乏性すぎて買い物は逆にストレス。泣くとスッキリするのだけど、泣いた姿を見ると旦那が動揺するので憚られる。
他方、旦那は一切制限無し。刺身、生ハム、チーズといったメインになる食材こそ(私が)買ってこないと食卓に登らないので食べていなかったけど、酒類OK生卵OK。お菓子を食べすぎてもOK。赤ちゃんへの影響を考慮する必要0。すっっっごく羨ましかった。
コロナの時代、オンライン飲み会が流行り出した頃の旦那は夜遅くまでリビングで楽しそうに飲み会をしては二日酔いになっていた。
酒臭い息を吹きかけてくるんじゃねぇよ、をもう少しマイルドにお伝えしたこともある。
ある日、生卵が良くないことを知ってしまった旦那から「なんで生卵くらいやめられないの」と怒った口調で言われて泣いた。
睡眠不足とホルモンバランスと仕事や生活へのストレスでメンタルが弱っていたのか涙が止まらなかった。
生卵くらいじゃないんだよ。我慢していたのは卵だけじゃない。いっぱい、いっぱい、我慢して、その中での卵かけご飯なのに。
辛うじて答えられたのは「じゃあ、あなたは何を我慢しているの?」だった。
売り言葉に買い言葉だったのか、旦那は酒を断つと言ったので溜飲が下がったが、直後に(一番好きな)ビールだけ断つに修正していてがっくりした。
確かに旦那まで好きなものを我慢して辛くなる必要はないけど、酒類全般好きなのにビールだけ断つって意味なくないか?
この卵かけご飯事件は一生忘れない気がする。
もし妊娠中の奥様をもつ旦那さんがいたら「なんで辞められないの」の代わりにこう言ってほしい。
「君ばかりいっぱい我慢して辛いけど、やっぱり生卵でアタるリスクは0じゃないから、これからは加熱して食べてみたら?」
別に旦那まで大好物を我慢しろよ、とは妻は思ってないのである。ただ、我慢していることに気づいて、目の前で食べないとか気遣うといった配慮をしてほしい。
4つ目は変化していく身体への戸惑い。
妊娠週数を重ねるにつれて望むと望まないとに限らず身体は順調に変化していく。
腹は徐々に迫り出し、折角割れる一歩手前まで来ていた腹筋はあっという間に見る影がなくなった。
乳房も発達し、これまで付けていた可愛らしい下着では収納しきれない。
乳輪もいつの間にか黒く大きく。
臨月にかけて骨盤も開いていって尻も大きく。
風呂場の鏡に映った私は、さながらメスゴリラ。
顔が残念な分がんばって培ってきたプロポーション(笑)はどこへやら。
出産、育児に対して身体だけは一直線に変わって行く。心はどうやって母になれば良いのかと置いてけぼりのまま。
刻々と変わる身体について行けず戸惑った。
産後の今も思う。妊婦が辛いのは見た目以上。
産後の今は思う。産後はさらに辛い。
出産を経験した全ての先輩方を尊敬する。
これから妊娠した人がいれば、その人が妊娠前と同様のパフォーマンスができるわけない。たいへんだね。と声をかけたい。
ああ、私は男に生まれたかった。
なんで、私が糖尿に!?
今回は妊娠糖尿病について書きます。
●妊娠糖尿病と診断されて
妊娠糖尿病とは、というのは日本産科婦人科学会など確かなところが情報発信しているのでそちらをご参考ください
日本産科婦人科学会HP(http://www.jsog.or.jp/modules/diseases/index.php?content_id=3)
めちゃくちゃ端折ると、妊娠中に胎盤の影響で食後の血糖値が高いままになってしまうことです。
次の人はリスクが高いそうです。
・肥満
・35歳以上の妊娠
・家族に糖尿の人がいる(遺伝)
一方、私は28歳、BMI18.5、体脂肪率22%。妊娠初期の血糖値も正常値。
妊娠糖尿病というものがあることは知ってたけど、自分は大丈夫だと思っていました。
(初産だったので、リスクが高い人の例としてある他の因子は無視します)
ところが、中期の糖負荷検査で妊娠糖尿病と診断されました。
試験用の甘い液体を飲んで待機している間に強い眠気に襲われ、血糖値スパイクか?と何となく嫌な予感はしていたけど、やっぱり診断がついた時はショックでした。
結果は1時間後値140くらい、2時間後値190くらい。2時間後値は完全にアウトでした。
●まずは食事療法
妊婦が激しい運動するのも、それはそれで危険なので先ずは食事や生活習慣の見直しで血糖値がコントロールできないかやってみることになりました。
産院からはとにかく血糖値を下げるようにと言われたものの、元から揚げ物やケーキ、ラーメンなどは食べず、仕事柄平日は間食なし。
朝ごはんは多めに食べるけれど、夜ご飯はお米抜き。
体重の増加ペースも低調で、食事量はむしろ少ないくらい。
妊娠初期に食事記録を出した時は「20代にしてはまともな食生活をしている」と褒められ?たくらいなのに、。
産院から指導された
・野菜から食べ、よく噛む
・食後に動くこと
・白米→玄米にしてみます?(疑問形だった。笑)
これらを取り入れて基準値120のギリギリを彷徨う感じ。そして食後に運動が難しい朝ごはんの後の血糖値は下がらない。
調べてみると次のような論文や情報が出てきました(引用元不掲載)
・一般的には朝食後は血糖値は下がりやすい
・食前に低血糖だと食後に上がりやすい
・運動後1時間ほど経つと血糖値が再び上がってくる
そして、やせ型で妊娠糖尿病になった人の研究が少ない。
産院の先生には
「なんでこんなに高いんだ」
「どんな食生活をしているんだ」
と言われ、余計つらかった。
分割食を試みたり、白米から玄米にしたり、朝食前の血糖値を測定してみたり、と自分なりに試行錯誤してダメなことに既にがっかりしているのに追い討ちのようでした。
(なお、GI値が低くても人によって血糖値への響き方は変わるので効果には個人差があるようです。引用元不掲載)
血糖値が高いと胎児に奇形などのリスクがあり、かと言って妊娠期の低栄養によって小さく生まれると将来生活習慣病になりやすくなるともいわれていて、もう、どうすりゃええねん!という気持ちでした。
●総合病院への転院
最初の産院では産まれた赤ちゃんのフォローができないからと小児科と代謝内科のある総合病院を紹介されて転院。
(実際は突き放すような、あなたはリスクが高いから他をあたってくれ的な対応でカチンときました。あと分娩予約金の払い戻し方とか、コロナで一回も開催されなかったプレママ教室代とか重なって悪い印象が残っている)
転院先では先ず1日5回食の分割食を勧められ、これで何とかコントロールができるように。
それでも妊娠後期に入る頃に夕食後は測定時間ギリギリまで散歩しないと下がらなくなりました。
●ついにインスリン導入
産休に入った34週頃、妊娠後期でずっと歩くのはしんどいでしょう、とインスリン導入。
効果テキ面。
これまでの苦労は何だったんだと思うくらい、ちゃんと血糖値が下がる。
太腿かお腹に打つので、職場で注射するのは難しかっただろうと思います。産休に入ってからは即導入すれば良かった。
また、外食も「いつ、どこで」注射すればよいのかが難しいため諦めましたが、インスリンを導入する前も外で一人前を食べると血糖値爆上がりになるので我慢していたので外食へのハードルも変わらない。
唯一の副作用?は体重が増えたこと。
〜34週で+3.6kgくらいだったのが
〜40週で+3.6kg+3.4kg=7kgに。
34週頃から浮腫が酷くなっていたので全部が脂肪ではないと信じたいのですが、運動量もそこまで変わらない中メキメキ体重が増えていきびっくり。
インスリンには余った糖を脂肪に変えるはたらきもあるので、その影響かなと考えています。
●出産と胎児への影響
高血糖は巨大児になる、と言われていましたが私と娘の場合にはそうでもありませんでした。
40週のエコーでは推定2900gくらい、40週6日で生まれてみたら3300gでした。
最後の6日で増えすぎ。。
平均よりやや重めではありますが自然分娩で産まれてくれました。
娘への一番大きな影響は低血糖でした。
胎内では胎盤を通して過剰に?与えられていた糖が、産まれたことで突然その供給が途絶えることに。胎内環境に応じた量のインスリンを出し続けていた娘は勢い余って低血糖に陥りました。
産まれたばかりで即ブドウ糖の点滴につながれ申し訳ない気持ちになりました。
そして低血糖の恐怖が残ったのか、お腹が空いた時の泣き方が凄まじい子に。。
お腹が空いたと気づいた途端、この世の終わりかのように全身全霊で泣き叫ぶ。
新生児室に預けていても母の病室まで余裕で声が聞こえてくる。(娘のカルテには「泣きが強い」と書かれていたそうです)
●その後
幸いブドウ糖の点滴は1日で済み、先天性代謝疾患など他の影響は特に起こりませんでした。
また、生後1,2ヶ月あたりから声量も段々落ち着いてきて3ヶ月を目前にした今では赤ちゃんらしい可愛い声に。笑
私の方は産後6週過ぎにもう一度糖負荷検査を行い、問題がないことを確認。
同時に自分のインスリンがどれくらい出せているかの検査もしてもらいました。
私の場合、インスリンの効きは悪くなく分泌量も正常値の範囲内だけれど少なめとのこと。
また妊娠した場合も十中八九、妊娠糖尿病になるようです。
娘にも遺伝している可能性があるので、親子ともども太らないように気をつけねば、。
コロナ禍での出産
書きたいことは他にも色々あるけれど一番情報が少なくて心細かったのがコレ。
私は2019年末に妊娠発覚、2020年9月に出産でした。
コロナによって受けた影響は色々あるけど
●良かったこと
●悪かったこと
●入院準備
今日は出産前後にフォーカスして書こうと思います。
●良かったこと
不安ばかりの中にも良いことは、意外にもあったのです。
1.立ち合い禁止
2.面会謝絶
3.感染者隔離
1.立ち会い禁止について
私は元から立ち会いを希望していませんでした。
「ひーひーふー…すぽんっ、オギャー」
昔はこんな穏やかなものを想像していました。
でも出産体験記の漫画でこんなものを見てしまったのです。
「うおおおおお!!!!いっそ誰か私を殺してぇぇええ!!旦那!違う!!押すのはそこじゃない!!この役立たず!!!いだだだだっ!!!」
これを読んだ私は次の理由から立ち会いは断固拒否と考えていました。
・旦那にトラウマ級の獣姿を見せてしまうかもしれない恐怖と恥じらい
・旦那、いても大して役に立たない説濃厚
(手を握ってもらうことで励まされなさそうな私の性格。そして非常事態時にはオロオロして斜め上の行動をとりそうな我が旦那、。)
立ち会いを経験した職場の上司は「凄まじかったけど、出産を経験した妻への感謝の念が沸いたから立ち会って良かった」と言われていましたが、それでも決心は揺らがず。
旦那は立ち合いを希望していたので、困ったなーと思っていましたがコロナのおかげ?で病院側から立ち会い禁止令!やった!
結果、立ち会いしなくて良かったなーと思います。
だって分娩中にウ○チも出たから、。
時間帯とか、いきみ方がわからなかったとか重なって出ちゃったんです。
産後しばらくしてから笑い話として旦那にも話ましたが、見られなくて良かった。
それと同じ時期、時間の入院者が少なかったのもあって助産師さんが分娩進行中にいきみ逃しの押しをやってくださったのです。
テニスボールを超的確に、どこだか自分でもわからないツボをグイッと。これまた絶妙なタイミングと力加減で。
すごく助かりました。あれがなかったら途中で息絶えてた。
2.面会謝絶
健診の段階までは代表者1名だけが1日5分まで面会可能だったのですが、コロナが再燃して旦那すらも面会謝絶。
寂しくはありましたが、いつ誰が来るからなどと考える必要もなく空いた時間を体の回復に充てられて良かったなーと思います。
産後のダメージは想像以上にデカい。
3.感染者隔離
出産した病院では事前か分娩後にPCR検査がありました。結果が出るまでは個室待機、疑いがあれば感染症病棟に隔離みたいでした。
自分も一緒に入院している人も感染症の疑いなし、という気がして安心感がありました。
実際、コロナ以外の感染症も隔離されていたのかはわかりませんが。
●悪かったこと
1.公共交通機関が怖い
2.母の応援が呼びづらい
3.やっぱり寂しい
4.赤ちゃんのお世話マスターへのプレッシャー
5.冠婚葬祭への迷い
1.公共交通機関が怖い
正産期に入るといつ出産が始まってもおかしくないわけです。
結局さいごの健診まで自分で車を運転して通院していましたが、運転中に陣痛とか始まったらどうしようかと不安でした。
旦那さんとか誰か他に運転してくれる人がいれば良いのですが、診察室にも入れず待つだけになるので、そう何回も頼みづらい、。
それから産後、平日に予定外に通院しなければならなかったときも新生児を連れて公共交通機関はリスキーで使えませんでした。
2.母の応援が呼びづらい
私の住居は地方県、実家は東京を越えた他県。
旦那の両親は同じ県に住んでいるけどフルタイム共働き。
コロナがなければ実家の母に産後はサポートをお願いしようと思っていましたが、感染拡大は収まらず。必ず東京を通らないと往来できない位置関係のため、最初は感染リスクの高さから母の助けは借りずに何とかしようと思っていました。
やっぱり早々に音を上げてしまい、1週間検温をしてもらった上でお願いしてしまいました。(産後は思った以上に大変。出産ってバグ多発の無理ゲーなのでは?)
旦那のお母さんはこれを心良く思わなかったようで、少々フォローが必要になりました、。
(自分も会うのは遠慮していたのに、とか、感染リスクを心配されていた模様)
コロナが無ければもっとあっさり、スムーズだったろうな。
3.やっぱり寂しい
入院中は面会謝絶だったので旦那とも会えず、陣痛の辛い時は寂しかったです。
また生まれた後のガッツ石松似な赤ちゃんを直接見せられないのも残念でした。
赤ちゃんの顔って日に日に変わっていくんですね。
4.赤ちゃんのお世話マスターへのプレッシャー
コロナの影響で産前のパパママ教室は全部無くなっていたため、赤ちゃんのお世話の仕方は入院中に全て私が覚えねば!というプレッシャーがありました。
後から振り返ればYouTubeとかで情報は落ちているのでそこまで気負わなくても良かったのですが、オムツ替えや沐浴は入院中にアヤフヤに覚えたやり方を帰宅後にうやむやなまま旦那に伝授。
我が子は手荒い沐浴によく耐えてくれました。
5.冠婚葬祭への迷い
妊娠中に何組かから、ありがたいことに結婚式へのご招待をいただいていました。
コロナ禍が大きくなる前に案内をもらって出席の返事をだしており、お祝いしたい気持ちと感染したくない気持ちとで、そのまま出席するか大いに迷いました。
コロナが怖くてよう行かん!と花一匁的に言うことはできますが、花嫁側の断られた時の残念な気持ちも経験したことがあるし、その後の関係性とかも考えて。
でも感染したら高熱が出たり、他にもお腹の子へ影響する可能性がないとは言い切れない。
私は残念な人間なので、正直なところ中止にならないかなーと思っていました。
(彼女は諸事情で一度結婚式を延期しているので、二度目の延期はないだろうと考えていました)
自分が花嫁側だったら「コロナのリスクは冬場のインフルエンザと一緒。ま、みんな来るっしょ」くらいに考えていたでしょう。
こう考えると以前から妊婦さんは冬場の結婚式に対して迷ったり恐れたりしていたのかな。
●入院準備
これ持っていって(いけば)よかった!いらなかった!を書こうと思います。
コロナだから、コロナじゃなくても、両方あります。
○持っていってよかった
・マスク
入院中、病棟でつけることはありませんでしたが、病棟から売店に出る時や入退院時には必要でした。
・100均で売ってるペットボトルにストローつけるやつ
便利、便利と言われて「まさかー。私は仰向けだと咽せるから、どうせぐいっとそのまま飲むよ」と思いながら入院バッグの中へ。
これ使うわ。おすすめされてるだけある。
分娩進行中、冷や汗出てめっちゃ喉渇いた。
キャップ開けて、とかやってられない。おすすめです。
面会謝絶だったので洗濯物は頼めず。タオルの枚数を減らすために持っていきました。
拭いて絞って、また拭けるセームタオルは旅行とかでもとても便利。
シャワー後に体や髪を拭いて、絞っておけば翌日には乾いていてまた使える。
・現金数千円
面会謝絶なので「ちょっとコレ買ってきて」はできず。病棟の自販機は現金のみの販売。
なぜか財布には万札とわずかな小銭のみ。
欲しかったのは1000円ちょいのピュアレーン。
両替機もなかったので困りました。
うっかり千円札を使わないように入院用財布とか作っておけばよかったです。
・乳首保護クリーム
これは持って行かずに後悔しました。乳首ってあんなに簡単に切れるんですね。
赤ちゃんが舐めても大丈夫なやつ、次は持っていきたいです。
・スマホ
文明の利器。娩出後のLINEや電話にカメラ、ネット通販もこれ一台。使用制限はありませんでした。
この他に持っていって使ったのは
・ペットボトルのお茶(空になった後も水道水を汲んで飲んでました。)
・授乳しやすいパジャマ2着(1着は悪露や切れた乳首で汚れたので2着あってよかった)
・妊娠中使ってたパンツ(意外とお腹はすぐに小さくならないorz)
・授乳ブラ
・シャワー時に着替えを持ち運ぶ袋
・スマホ充電器(今の時代は必須)
・ペン、ノート(何かメモする用に)
・洗顔後や手洗い後に拭くタオル
○いらなかった
・タオル2枚目以降
面会謝絶なので洗濯物を家族にお願いすることはできませんでした。上記のセールタオルさえあれば何とかなったので、これは不要でした。
・化粧品
入退院時はマスクしちゃうし、入院中も誰に見せるんだよ、ってなって色付きリップさえ使わなかった。これは人によるのでしょうね。
・本
陣痛中、暇かなーと思って入れていましたが、そんな余裕なく分娩まで行きました。ここは個人差がありそう。
出産後はネット検索や体の回復などで忙しくて読む暇はありませんでした。
・イヤホン
普段から音楽漬けではないので、やっぱり要らず。陣痛中は個室待機→内診台→NST用ベッド→分娩台と移動が多く、イヤホンを付けたり外したりする余裕はありませんでした。
・骨盤矯正下着
体に力を入れられない産後に、着脱時に力が入るようなパンツなんて無理でした。
持っていくなら骨盤ベルトをおすすめします。
・洗濯用グッズ
旦那に洗濯物を託せなかったので持っていきましたが使いませんでした。
分娩後はマワシみたいな産褥下着?をつけられ、それを翌日まで使用。ブラもつけるタイミングが分からず、翌々日にしてようやく自分の下着をつけたので、持っていった下着3着分で足りたのが理由。
それに洗濯する体力はなかった。
以上、コロナ禍での出産についての個人的体験談でした!