産後は辛いよ 〜出産直後編
妊娠した時、出産はゴールだと思った。
産んでしまえば全てが楽になると。
今は思う。出産はマラソン35km地点。42.195km走ったことないけど、たぶんそう。
出産の、たった数時間で起きたダメージで8週間ふらふら。
特に最初の3週間はズタボロ。
初日はいっそ殺してくれと思った。
そして始まる魔物との生活。
出産までは自分の体の延長線上の出来事だと想像ができたけれど、赤ちゃんと一緒の生活は全く想像が付かなかった。
自分が末っ子だからなのか。赤ちゃんという生き物を良く知らなかったからか。
幸いにしてつわりが軽い方だった妊娠初期は多少の情緒不安定さがありつつも元気な妊婦だった。
安定期と言われる妊娠中期も睡眠不足とかは苦しかったが、これまでの人生の延長と言えばそう。
後期はダメージが蓄積してフゥフゥ言いながら動いていたが、あと少しで楽になると思えば希望があった。
陣痛は記憶が曖昧だが痛かったのは覚えている。でも出せば楽になる。ゴールテープまであと少し。ラストスパート!
必死にいきんで娘が産まれ出た。元気な声をあげてくれた。
ー終わった。
乱れた呼吸を整えながら、周りでテキパキ動くお医者さんや助産師さんを眺めていた。
出血が多めだったとかで点滴をしてもらったけれど、点滴される程だったという自覚もなかった。
が、ここからだった。
会陰縫合がめちゃくちゃ痛い。
麻酔本当に打ちました?と確認したいくらいの容赦なさで縫い針が局部を突き続けること30分。
10分経過した辺りでもうすぐ終わりかと聞いた時、医師に困った笑顔で「まだ1/3くらいですね。」と言われた時には絶望した。
何も悪くないお医者さんを蹴り飛ばして逃げたかった。
寿限無を唱えてみたり、生まれたての娘からパワーを貰おうと眺めてみたり、色々試みたが痛みは全くマシにならなかった。
分娩台でいきんでいた時間より圧倒的に長い拷問だった。
縫っただけでは終わらない。その後も縫い痕がズキズキ痛む。靭帯を切った時のような、熱を持った痛み。やっぱり悪くないお医者さんをヤブ医者なんじゃないかと疑い何度も呪った。
(あのお医者さんが今も無事に暮らされていますように、。)
円座クッションがラクだと事前に調べていたので、病室に用意されていたものに意気揚々と座った。
痛いものは痛い。全く効果を感じなかった。
円座クッションがなかったらどれくらい痛いのかは怖くて確かめられなかった。
寝ても起きても痛い。言わんや歩くをや。再び裂けそうでヨタヨタちょびちょびとしか進めなかった。
2日目までは猛烈な痛みが続いた。
3日目以降は非常に強い痛みになった。
退院まで、内診台に乗る時はお尻をつけることができずに両腕で体を支えた。
貧血もじわじわと攻めてくる。
分娩後、病室への移動には車椅子が用意された時にはまだ余裕だった。そんな重病人ではないぞと思った。
400ml献血した後でもスタスタ歩ける私が600ml失血したくらいで歩けない訳がない。
(とはいえ「決まりなので」と言われた車椅子は有難く乗せていただいた。)
こんなに元気なのに車椅子に乗せてもらっちゃってすみませんね、という気持ちだった。
が、トイレで見た顔は土気色。
産後ハイが過ぎでしまえば身体は怠く、少し動くのにも普段の3倍エネルギーが要った。
「産後」というものはきっちりやってきた。
私の場合は初産のくせに陣痛から娘の誕生までたった5時間、分娩台に乗って10分のスピード出産。一般的には超安産に分類される。
本格的に苦しくなってからは2時間。その時は永遠に感じたが、振り返れば10分程度の記憶しかない。
そんな短い時間でプリッと産んだだけなのにベッドから起き上がることがままならない。
お尻の穴が痛くて、体が重くて、横になると頭だけが冴えている。
この身体で赤ちゃんの世話をするなんて人体の設計ミスとしか思えない。
病院ではまだマシだった。
いくら娘が泣き喚いてもお互い様。困っていれば看護師さんが助けてもくれる。温度管理もバッチリで、乳を与えられて満足すれば娘はすやすやとよく眠った。
自宅に戻って状況が変わる。
続きはいずれまた別の日に。